もうすぐお正月。
しかし、これは祖父母とここで過ごせる最後の正月になりそうだ。
祖父母は新年明けたらしばらくして生まれ故郷の島根に引っ越します。
それを知らされたとき、泣きに泣いた。
死ぬまでここで一緒に過ごせると思っていたので。介護もよろこんで引き受けるつもりだった…
小学生のときから忙しい両親に対していつも家にいた祖父母だから、存在はとてつもなく大きい。
身体の調子が悪くて一日中寝込んでいたときに、祖母は何も言わずに部屋におにぎりを二つ置いてくれた。
祖父母は自分たちの好きなことをしていつも幸せそうだった。
祖父は読書に競馬。家のことも進んで自分からやった。
祖母は絵を描きながら動物の世話をし、テレビを楽しそうに見ながら自由時間を過ごし、車も自転車も乗れないので近所のスーパーまで毎日徒歩で歩いて祖父のご飯の支度をした。
命に関わる病気を二回も乗り越えた強い人。90歳台まで生きるつもりらしい。
彼らは自分たちのやることを単なる自分の選択として位置づけ、何も文句を言わず何も見返りを求めない善人だった。
今では、このことは祖父母に甘えていた自分を精神的にも自立する機会だと考えている。
でも、やっぱ淋しい。祖父母のおかげで賑やかで朗らかな食卓だった。祖父の酔っぱらうと明るくなる性格、イカや魚や漬け物が大好きなおじいちゃん…煮物の上手なおばあちゃん…祖父の名物、テレビに向かってぼろくそに言う政治論争
来年からかは毎年正月は島根で過ごすかもしれない。
やはり一緒にそば食べて紅白見て新年を迎えて、朝、おせちと鳥だしのお雑煮と日本酒を頂く正月はかけがえがない…
こんな訳で来年は私にとっても、他のことも含めて自立の年になりそうです。
では今年ももう後少しですが、良いお年を!
12/28/2011
12/24/2011
最近心を打たれた言葉
自分だけに注目するよりも心に響いた言葉に注目する方が自分の心の状態が読み解けるという転倒作用を体現すべく、引用です。
ユゴー『レ・ミゼラブル(1)』(新潮文庫、2010)、84頁より
「成功とはかなりいやしいものである。成功は価値と似ているようにみえるために、人はだまされる。大衆にとっては、成功と優秀とは、ほとんど同じ顔をしている。才能と瓜二つの成功には、歴史もよくだまされる。(…)現代では、ほとんど公認されていた哲学が、成功の下僕となって住み込み、成功のお仕着せを着て、控え室で勤めている。成功せよ、これが理論である。出世は能力のある証拠だ。宝くじで儲けよ、そうすればあなたは有能な人間だ。勝った者は、尊敬される。幸運に生まれよ、それがすべてだ。チャンスをつかめ、あとはなんでも手に入れることができる。幸運であれ、そうすれば偉人と思われるだろう。」
この文章が私の心に響いたのは、日本にもこういう風潮があり、違和感を感じながらもどこかでそれに縛られている自分がいたからだろう。最近は全てのことが些事であるかのごとく、心が軽い。
一つの価値観では人の人生は計れない。自分の価値観を人に押し付けることこそが、相手の世界を否定し、相手を呑み込み強要することに繋がる場合がある。神のように全能ではない人間には、少なからず自分の価値観を尺度で計ってしまう(俗にいう、「自分の物差しで計る」)ことはあるかもしれない。しかし、そこには一つの立場/視点からとしての謙虚さが必要である。一つの価値観を押し付けることは戦争である。戦争は敵も味方も傷つける。
しかし、人は交流する社会的動物である。
しかし、人は交流する社会的動物である。
だから誰かに何か訴えたい事柄があれば以下のような言葉の方法がいいのだろう。
パスカル『パンセ』より
「雄弁とは物事を次のように話す術である。一、話しかける相手の人たちが苦労しないで楽しく聞けるようにする。ニ、彼らがそれに関心をいだき、従って自愛心に駆られて進んでそれについ
て反省するように仕向ける」§15付録
12/08/2011
the before & after 〜イカ篇〜
祖父の知人が(クール便でわざわさ)何かのお礼として下さった魚介類
Before
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After
ということで今日はイカづくし。
米とイカしか食べてないぜい!
(↑ちょっと話盛ったけど)
イカさばいてたら、臭いのせいか愛猫のレオンがキッチンに寄ってきました(笑)
イカさばいてたら、臭いのせいか愛猫のレオンがキッチンに寄ってきました(笑)
猫も犬に負けじと鼻が利くのかな?
確かレオン、鼻炎だった気がするけど〜?!
しかし焼いたイカが柔らかくて吃驚!
冷凍されていない産地直送のイカ、恐るべし〜
な一日でした
確かレオン、鼻炎だった気がするけど〜?!
しかし焼いたイカが柔らかくて吃驚!
冷凍されていない産地直送のイカ、恐るべし〜
な一日でした
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