12/24/2011

最近心を打たれた言葉

自分だけに注目するよりも心に響いた言葉に注目する方が自分の心の状態が読み解けるという転倒作用を体現すべく、引用です。




ユゴー『レ・ミゼラブル(1)』(新潮文庫、2010)、84頁より

「成功とはかなりいやしいものである。成功は価値と似ているようにみえるために、人はだまされる。大衆にとっては、成功と優秀とは、ほとんど同じ顔をしている。才能と瓜二つの成功には、歴史もよくだまされる。(…)現代では、ほとんど公認されていた哲学が、成功の下僕となって住み込み、成功のお仕着せを着て、控え室で勤めている。成功せよ、これが理論である。出世は能力のある証拠だ。宝くじで儲けよ、そうすればあなたは有能な人間だ。勝った者は、尊敬される。幸運に生まれよ、それがすべてだ。チャンスをつかめ、あとはなんでも手に入れることができる。幸運であれ、そうすれば偉人と思われるだろう。」


この文章が私の心に響いたのは、日本にもこういう風潮があり、違和感を感じながらもどこかでそれに縛られている自分がいたからだろう。最近は全てのことが些事であるかのごとく、心が軽い。

一つの価値観では人の人生は計れない。自分の価値観を人に押し付けることこそが、相手の世界を否定し、相手を呑み込み強要することに繋がる場合がある。神のように全能ではない人間には、少なからず自分の価値観を尺度で計ってしまう(俗にいう、「自分の物差しで計る」)ことはあるかもしれない。しかし、そこには一つの立場/視点からとしての謙虚さが必要である。一つの価値観を押し付けることは戦争である。戦争は敵も味方も傷つける。


しかし、人は交流する社会的動物である。


だから誰かに何か訴えたい事柄があれば以下のような言葉の方法がいいのだろう。

パスカル『パンセ』より

「雄弁とは物事を次のように話す術である。一、話しかける相手の人たちが苦労しないで楽しく聞けるようにする。ニ、彼らがそれに関心をいだき、従って自愛心に駆られて進んでそれについ
て反省するように仕向ける」§15付録





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