3/20/2012

激しく生きる〜『老人と海』を読んで

しばらくTOEICの勉強のためお預けしておいた『老人と海』、昨晩、食後に寝入ってしまったので眠れなかったので読書を再開した。

前に投稿にも書いたように変な神経を使ったせいか、単なる流行風邪か、胃腸を1週間やられて吐き気と胃痛で寝込んでいたときに、あまりに長引く寒さにも敵意を抱き、海と太陽のキューバが舞台の『老人と海』を手に取った。

まだ読んでない人のために内容には触れないが、読後感として思ったこと…




人生は結果ではない…

相殺して老人に残ったものは結果的に殆どゼロ。だけど「老人」はあの瞬間を激しく生きた。そしてその瞬間に勝った。

通りすがりの人は老人がどんな偉業を成し遂げ、死闘を生き抜いたかなど知る由もない。
しかし、それがどうした?

老人は偉業を成し遂げ、死闘を生き抜いたことは村人や少年、そして私たちの心に残る。

人生の豪快な空しさ…

そんなただ中にいる老人を愛する少年。見ている人はちゃんと見ていてくれる。

老人は言う、「『俺には運がない、運が尽きた』」と。そして少年は言う、「僕が運を持っていってあげるよ」(ここで私は号泣ToT)

ただ自分のやるべきことに激しく立ち向かえばいい。
それが生きること。「生」を燃やせば「命」は爽快に燃える。
そして命は限りなく輝く。


そんなことを思った。


しかし、ヘミングウェイは『日はまた昇る』も読んだことあるけど、生の「激しさ」「野蛮さ」「厳しさ」を追い求めているな〜。そういうの大好き。

スペインのエキゾチスムを卒論で扱ったから『日はまた昇る』も読んだ訳だけど、原始的なものに惹かれるのは私が現代人だから、っていうのもあるのだろうな。ホンジュラスに住んで、自分は現代人っていうのを実感したけど、原始的で本能的な記憶をどこかで確かめたいのかもしれない。

こういう原始懐古趣味ともいうのは現代の特徴だろう。文学でも、音楽でも、絵画でも、旅行でも、趣味でも、やはり人間は動物的感覚に飢えてどこかでそれを補充しなきゃいけストレスが溜まるのかな。

もちろん人間の進化の過程を見れば、完全に動物的になればいい訳もない。道具を使い、絵を書き、祭りをし(音楽、演劇)、言葉を使い、文字を使って来たのも人間の一部だけど。人間も進化の過程だから、何が一番いい形なのか答えはない。だから原発のような過度の科学技術に依存した社会も出来てしまって、今更皆後悔してる。後悔しても後戻りできないのが放射性物質の厄介なところ…。

やはり結局原発の話に戻ってしまったけど(苦笑)

ではでは

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