残念ながら、団鬼六さんの作品は読んだことないのですが、亡くなったそうです。
そして、生前に記された最後のブログで、私たちにエールの言葉を残してくれています。
http://oniroku-dan.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-4e9d.html
私も自分が「日本」という国への愛着が凄いことに最近気付いてる。
諸外国が日本を批難すると腹が立ったり、諸外国が震災のことを忘れても私たちのなかでは絶対忘れないし、日本全土がどんなに放射能に汚染されても、この土地を絶対離れたくない、って強く思う。
それは自分だけ助かっても幸せじゃない。日本に一人でも残る人がいるなら、私も残る。それが赤の他人でも、一緒に残る。
そんな気持ち。
まだはっきりとやりたいことが分からなかった高校時代、日本で高校卒業して、予備校通って受験して、大学入って、就職して…っていうレールが自分に用意されてしまっているような気がしたのか日本が何か嫌で、世界をもっと知りたくて、自分を試したくて、高校時代にホンジュラスへ交換留学したり、その後もNYで入れる大学に入って…
でも結局病魔に襲われて日本に帰国して、早10年弱が経った。
この10年弱で、やっと自分の好きなこと、挑戦したいことも見つかった。
文学に色んな国の文化と日本との接点を見出し、明治時代から続く西洋文明・文化との対峙という長い歴史的「大河の一滴」として自分を位置づけるようになって、やっと自分の生身の存在を一つの生き現象として認め、受入れられるようになった気もする。
やっぱり、どんなに海外で生活しても、私は日本人である。
海外にいればいる程、自分のナショナリティを意識して、自分のアイデンティティを表象する代名詞になっていた。
それは、日常的に行われる自己紹介から「私は日本人です。東京都の隣の神奈川という県出身です」という慣例から顕在化したのかもしれない。
そして、私は今、自分が何者か分からなくて、透明人間のような気分で、何か漠然とした不安感が常にあった思春期から青年期に突入している。
住み慣れた家、地域、そこで出来た大切な友達たち、その家族、その人たちの葛藤苦悩、喜び、成長、変化、そのすべてを含めた数々の人生が成り立っている「この土地」への愛情が湧いてきている。
私の生きて来た人生だけでなく、長い歴史を経て現在の日本を築いてきた数え切れない個々の人生に対する敬意と愛情が、「日本」という一つの表象言語には脈々と流れているのである。
だから「日本」に対する冒涜は、許し難いことなのである。
震災をきっかけに、世界のニュースの賛否両論の渦中に「日本」が入り乱れて、そんな感情を抱くに至ったのである。私たち一人一人が考えて日本をいい国にしたいな、と思うように至ったのである。
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